5月のGW。
毎年仕事に追われているGWですが、
GW中に旅をしないと負けた気がするので、旅立つことにした。
愛車(6段変速のtokyo bike)を若干整備し、
長時間のツーリングに耐えるために、
クッション付きの指だしグローブとサングラスを前日ジャスコでゲット。
行きだけで多分疲れちゃうから一泊するだろうなと思って、
宿泊準備と宿の番号が乗っている本をバックにつめる。
元々会社の同期の個展を見に行くという目的もあったので、丁度よい機会だった。
電車で行くのは一時間半ぐらいの手軽な旅行。
自転車で行くのは、どんな旅行になるのかなんて想像もできなかった。
ただ、出かけるのは思った以上にあっさり。
「行ってしまえ」と思えば、行ってしまえるものだ。
行きはこんな感じにしてみた。
【往路】
大きな地図で見る
これ、グーグルマップの経路探索で「歩き」と設定した場合のルート。
なるほど、最短ルートを探し出してくれるのか、素晴らしい。
・・・と、思っていたのは前日の夜まで。
翌日走り出して2時間後ぐらい、川崎あたりであることに気付いた。
このグーグルマップの「歩き」設定でのルート検索は、
「最短ルート」を示しているのではなく、単に「直線距離での最短ルート」を
示しているのだった・・・。
そう、所詮外資の企業が、
日本の一地方の小道がどのような状況かなど知るわけがないんだ。
グーグルマップに従うことで、往路おれは私有地の道路に分け入ろうとしたり、
なぜか急坂の墓場の横を駆けあがったり、地元の人でも迷いそうな、
住宅街の迷路を突き進んだ。そう、一路鶴岡八幡宮を目指して。
新横浜には10時ごろにはついた。
朝7時半に出たので、予想通りの時間。
その日はHeySayJumpのライプらしく、チケットが取れなかった小娘どもが
スケッチブックに「ちけっとください」と書いて立ち尽くしていた。
「女の子同士だと、友達がこれなくなったから、一緒にいきますか?」
なんてのがあるんだろうか。
マックでアップルパイと充実野菜を胃に流し込み休憩終了。
新横浜から鎌倉に向けてがかなりきつく、
当初到着予定が12時だったのが、13時半となってしまった。
後半坂が多くめちゃくちゃきつかったんだが、
「鎌倉」の名前が道路標識に見れた時は感動だったし、
由比ヶ浜を自転車で走るのはかなり気持ち良い感覚だった!
お昼は、駿河湾の桜海老と地元のしらすが
トッピングされたピザをしゃれたカフェで。
おなかを満たし、同期の展示を見に行った。
↑こんなのを作るやつです。
彼のセンスがもっと生きるような仕事があると、
良いなとおもっているのだけど、
なかなか会社ってのは難しいもんです。
確かに超こぢんまりしたかわいいギャラリーだったのですが、
言ってしまえばそいつの家です。家をギャラリーとして使えるようにしたんだそうです。
でも鎌倉の大仏殿近くの山奥なので、気軽に行けないのが正直なところです。
とはいえ、いろんなところに行くと面白い出会いがあるわけで、
同期の幼稚園からの友達という人と出会ったのですが、なんと元ジャニーズJr.!
たしかにカッコいいです。カッコいいというか、女の子を男にした感じw
髪さらさらです。でも30です。
大学院も出ていてナウ保育士の独身です(S君)。(ぐっと来る女性がいそうですね。)
しかし、周囲に「あーこいつイケメンだな」と思う奴がいますが、
やはり元ジャニと比べると全然ですね・・・。
県大会レベルじゃ、全日本レベルとは雲泥の差ってことでしょう。
職場や保護者がみな女性だとうこともあり、
職場のスタッフ(女性)とご飯を食べに街に行くと、
その姿を見られると途端にうわさが広まってしまうらしい。
S君も彼女が何人もいたことになっているそう。
業界人を辞めてもフライデーされまくっている・・・。
イケメンはどに行ってもイケメン人生を歩くことになるんでしょう。
なーんてことをだらだらと話していたら、ギャラリーを出るのが19時ごろに・・・。
まあ、「どっかあいてんだろ」と高をくくって、鎌倉駅で、ホテルへ電話・・・。
俺:「今日泊まれますか?」
宿:「申し訳ありません、本日は満室に・・・」
俺:「今日部屋ありますかね?」
宿:「申し訳ありません、本日は満室に・・・」
俺:「今日いっぱいですか?」
宿:「申し訳ありません、本日は満室に・・・」
全敗・・・。
この後横浜・新横浜の東急インなどでもトライするが全滅・・・。
なので「帰る」ことに決定。
自転車はいつでも走り出せるぜ!
道路は24時間オープンだぜ!
日本の道路は夜まで明るいぜ!
・・・問題なのは自分の体力だけ。
【復路】
大きな地図で見る
地図をご覧になれば分かるように、おかしなところがあります。
復路で語らねばならないことはただ一つ。
私は、この疲れ切った深夜のツーリングで大きな失敗を犯しました。
そう、まったく逆方向へ進んだ箇所があったのです・・・。
「瀬田の交差点で環八にのる」それでゴールだ!
それを気持ちの支えに深夜のぶっとい車道をたまーに通り過ぎる
トラックやタクシーにおびえながら車道の端を突っ走っていました。
そしてとうとう瀬田の交差点にたどり着いたところで、
私はいつもやっているiphoneでの経路チェックを怠りました。
「環八には乗ったし」あとはこれでまっすぐ突っ走るだけだ-----と、
小一時間つっぱしりました。
そして違和感を感じたのは、上野毛をすぎたところでした。
うえのげ?どこだろ・・・。
まいいや(←いくない!)
そして看板の目的地が常に「羽田」。
うーん、なぜ羽田なんだろう・・・。
まいいや(←あほ)
「田園調布」・・・。
田園調布と調布ってちがうのかな?(←ばか)
ま、い・・・くない!!
と立ち止まり、iphoneでグーグルマップを再度チェックして愕然とする・・・。
そんなこんなで、空が白んできた4時半ごろに自宅へ帰着することができました。
自転車旅なのでいつも以上に時間を気にせず
いろいろ勝手に動けたのはとってもよかった。
思いのほか自分の愛車は良く走ることを実感。
良い買い物をした。
あとは自分の体力だなと。
今回の走行距離は大体120キロ程度だったかと思います。(無駄も含め)
一日で走る距離としてはなかなかだったんじゃないでしょうか・・・。
ま、またこんどどっかに行きたいです。
今度は宿をとってから行くぞ。
2009年9月8日火曜日
2009年5月16日土曜日
グラン・トリノ
2009年5月10日日曜日
WALL・E
良かった。
★★★★★☆
ほんわかじんわりきゅんとせつない感じ。
ロボットとは思えない、
やわらかさや、人間くささが表現できる
ピクサーならではの作品だった。
なんだろ、
天空の城ラピュタみたいな感じがするけど、
彼女がめちゃくちゃ強いってところが、
最終兵器彼女とかうる星やつらみたいな感じもする。
日本アニメの良いところを、
すばらしい技術で見せ付けられた感じがする。
Carsもよかったしなあ。あれすごかったなあ。
やっぱゲームと映画だと表現がまったくちがうんだよなあ・・・。
小難しいことはなく良い作品だった。
これぐらい分かりやすいものをジブリも作ってくれればよいのに。
あ、ポニョみなきゃ。
★★★★★☆
ほんわかじんわりきゅんとせつない感じ。
ロボットとは思えない、
やわらかさや、人間くささが表現できる
ピクサーならではの作品だった。
なんだろ、
天空の城ラピュタみたいな感じがするけど、
彼女がめちゃくちゃ強いってところが、
最終兵器彼女とかうる星やつらみたいな感じもする。
日本アニメの良いところを、
すばらしい技術で見せ付けられた感じがする。
Carsもよかったしなあ。あれすごかったなあ。
やっぱゲームと映画だと表現がまったくちがうんだよなあ・・・。
小難しいことはなく良い作品だった。
これぐらい分かりやすいものをジブリも作ってくれればよいのに。
あ、ポニョみなきゃ。
2009年5月9日土曜日
2009年GW九州旅行
九州紀行
●準備
出発の日が5月2日だったから、ほんの数日前だったと思うが、
GWの予定をシモムーと齋藤さんにきかれ、
そのときは石見銀山に行こうと思っていたのだが、
丁度帰郷する2人に誘われ、大分・九州へ行くことにした。
そこから、飛行機の手配をするも往路がとれず、
一先ず5日北九州発の復路のみ予約し
「行かない」という選択肢はなくなった。
結局、行きは新幹線の自由席で行けば良いということに。
●旅立ち
前日22時ぐらいまで仕事をしてしまい、
家に帰ってからばたばた準備をして、寝る頃には1時過ぎに・・・。
ただ、こういうときはパッと起きられるもので、
4時半頃におきて始発にのり東京へ。
6時前に東京駅についたものの、さすがにGW中とあって
早朝の駅には各地へ向かう人でごった返していた。
私が乗るべき博多行きの列車も、
自由席に座るための列ができており、
私もすかさずその列に並ぶ。
時期が時期なので、座れなくても・・・と思っていたのだが、
思いのほか楽に席が確保でき、出発前にやってきた人が座れない程度だった。
このときからちょっとそんな気はしていたが、
高速料金が安くなったためか車で出かける人が増えたため?
新幹線の利用者がへったのかなあーーと。
というのも、九州に行ってからもどの特急やバスに乗っても、
席が一杯ということがなかったのだ。
そんなわけで、思いつき行き当たりばったりな割には、
快適な旅だった。
●まずは熊本
5時間新幹線にのるのは、やっぱり大変だった。
お尻が痛くなるし、通路に人が一杯でトイレに行けない・・・。
結局トイレに行けたのが、広島を過ぎてからだった・・・。
博多から、「つばめ」という
かっこいい(九州の特急は全部かっこいい)
特急に乗り熊本へ。
熊本には大学時代の友人が帰省しており、
今偶然やっている井上雄彦の「最後のマンガ展」を
熊本近代美術館で鑑賞することに。
まったく予期していなかったものの、
上野ではゆっくり見ることもできなかった、といわれるこの展示を、
ちょっと並んだだけで一時間じっくり見られたのは運が良かった。
その後は、東横インに部屋を取り、
友人も初めていく熊本ラーメン屋へ。
店の中には、有名人のサイン(偏りが見られたが・・・)もあり、
「元祖」と銘打った屋号ではあったが、
食べ終わった後に2人とも開口一番、
「やたらこってりしているわりに、薄味だったな・・・」。
桂花の本店があったので、そちらに行こうかともいっていたので、
ちょっと残念だが、まあ良い思いでということで。
ちなみに、近くにスザンヌの実家「キャサリンズバー」があったりして、
お店の反対側から携帯やデジカメで写真を撮っている人がいくらか見受けられた。
そして、熊本唯一?の繁華街だけあって、
出勤前のおねいさんや「これ系」のお兄さん達も一杯いた。
ただ、何の変哲もないお店も、
地元っ子の説明が加わるとそれだけで
ちょっと特別に見える。
変哲のない商店街でも歴史が見えると楽しいものだ。
●熊本から大分へ
翌日、朝ごはんを食べ8時半の開城前に熊本城へ。
さすがGWというわけか、まだ15分くらいあるというのに、
100人近い列ができていた。
私は、午後には阿蘇にいき、そのまま大分に抜けたいので、
熊本城にいられる時間が短いため、ダッシュでの見学となった。
熊本城の見所は、なんと言ってもその石垣のすばらしさだ。
作られたカタチが時代によって異なるらしく、
その反り返り具合が見事だった。
築城400年祭のキャラクター「ひごまる」は、
なかなか悪くないキャラぶりだが、
それほどプッシュしていない感じが見受けられた・・・。
まあキャラ頼りでないのは良いことか。
熊本城をあとにし、路面電車で熊本駅に戻り、一路阿蘇へ。
本日の行程で一番不安な、阿蘇⇔草千里のバス。
往路は始発なので定刻どおりに出発したものの、
復路は不安で一杯。
なにせ、今日の夕方には大分に着くという約束をしてしまったので、
余り遅くなるわけにはいかないな・・・と。
とまあ気を揉んでもしょうがないので、草千里を楽しむことに。
昔小学校のころの国語の便覧に草千里が載っており(誰かの詩?)
一度行ってみたいなとおもってから幾星霜。
確かにすごかった。でかーーーーーーーい、草原だった。
そう、鳥取砂丘をすべて緑地化したら同じものができそうな気がした。
しかし、ちょっとしたハイキング気分にもなれたし、
阿蘇駅の道の駅で買った、かしわめしのおにぎりを
小高い丘でたべられたので、なかなか良い気分だった。
ただ、寒い。
天気も悪く小雨が降っていたこともあるが、
高度がたかくなったのでそりゃ寒い。
小一時間草千里を散策したあと、
予定していたバスに乗るためにバス停に並ぶ。
並ぶ、並ぶ・・・。
全然来ない(涙。
山頂に向かう車道は、駐車場に入りきらない車で長蛇の列ができており、
そのあおりをくって、バスが頂上から降りて来られないようだった。
山頂から下ってくる車に何度ヒッチハイクして貰おうか悩んだほど…。
私の後ろに並んでた長崎の人っぽいおばあさんは、
「寒いのは我慢できるけでくさいくさい!」と
楽しそうに馬の匂いについて娘夫婦に愚痴をいい、
私の前にいた日系の女性と白人男性は、
これまた変なテンションで「フー!わーお!」と
いちゃつきながらバスをまちつづけていた。
そして待つこと30分以上。
ようやく到着。まっている人たちからは歓声と拍手が。
と、ここで衝撃の発言が運転手から!
「12人しか乗せられません!!」
ここまで待たせて人数限定か!
と思いつつ私は5人目だったので一安心。
ただ、そんなにいなかったよなあと思っていると、
すかさずおばあさんがカウントして、11人と判明。
一安心したところでまた運転手が問題発言。
「すいません、やっぱり5人しかむりです!!」
なぜ???
またしても私はぎりぎりOKなのだが、
7人分へったのか・・・?
意味わからず乗ってみたが、どうみても乗れる。
補助席だせば余裕だろう、と。
何を、どう考えたら乗れないのか分からなかったし、
当初の12人はどこからきてなぜ5に減ったのかさえ
わからなかった。
が、なんだかしらないが一応全員乗れた。
普段こんなに客がこないからパニくったのだろうか。
ひとまずよかった。
そして多めに時間をとっておいたおかげで、
無事大分に夕方到着する便にゆっくり乗れる時刻に
阿蘇へ戻ることができた。
九州横断特急(のわりには可愛らしいサイズ)という
かっこいい特急で、一路大分へ。
●大分一日目
大分でまず目に付いたのは、大友宗麟の像。
私が見た世界中の銅像の中で(大してないですが)、
1ばーーーーーん強そうだった。
かっちょいい。必見。ちょっとこわい。w
そしてなにより「とり天」。鶏肉の天ぷら。
シモムラ宅の夕食でも出していただき、満腹になるほどいただいてしまった。
最近は、「とりからあげ」がブームらしく、
「とり天」あってのブームなんだろうなとなんとなく納得。
その日は、「象の背中」を鑑賞して就寝。
●大分二日目
どうもサイトーさんの調子が悪いということもあったので、
私は1人で由布院へ行ってみることに。
軽井沢的なイメージだということを聞いて行ってみたが、
まさにそんな感じだった。
いやむしろ軽井沢よりもっとこじんまりしつつ、
多様性にとんだものがあるので、
今度時間があればもっとゆっくりと
遊びに行きたいところだ。
まずは日本レンタカーで電動自転車を借りる。
初めて電動自転車に乗ったのだが、すごい!
加速力と馬力がありえない。混雑した道で、低速で人の波がきれるまで
だらだら走っているところから、人がいなくなって走り出そうとすると、
グッと一気に高速域まで持ってきてくれる。
レンタカー屋で自転車を借りて走り始めるとき、
最初レンタカー屋の兄ちゃんにうしろから蹴り飛ばされたのかと
勘違いするほどの加速だった。
みんな買うといいよ。
さて、そんな電動自転車でまず向かったのは、金鱗湖という湖。
金鱗湖は、私の想像よりはるかに小さい「池」ではあったが、
その池を手前に見て、由布岳の姿を眺めるのはなかなかのものだった。
少し靄も出ており、なんとも幽玄な雰囲気が漂っていた。
その後は、ギャラリーやトンボ玉の店などを見て回っていたのだが、
ここにきてドシャブリに見舞われる。
やはり南国なのか、スコールのような雨で、
一気に私と自転車(とカゴに乗せておいたガイドブック)が
びちゃびちゃに。
そんな中自転車のレンタル時間がおわり、一旦返却したものの
次の列車まで時間があるので改めて街へ繰り出し、
ジャムを買ったり豆腐ソフト(豆乳の味がしてうまい)を食った。
ここに来る前に行ってみてはといわれた「金賞コロッケ」
(なんかのコロッケ大会で金賞をとったコロッケらしい)
にもいってみたが、どこかで食べた味だなと思ったら、
母親の作るコロッケをもう少しスパイシーにした感じだった。
まあ観光地の名物なんてのはこんなもんなんでしょう。
そんな駆け足でまわった由布院を後に大分へ。
夕飯はシモムラパパの作るお好み焼きだった。
またしても満腹ナリ。
●最終日大分⇒博多⇒北九州
やはりまだ調子の悪いサイトーさん。
大量に薬をもらったものの熱が下がらない。
ブタか・・・?いやまさかね、あはは。
なんて話をしつつ、彼らも東京へ戻るために大分空港へ。
その途中、大分駅に下ろしてもらい、自分は一路博多へ。
博多について何をしようか、ずっと迷っていたが結局「ラーメン」となった。
(大宰府と近代美術館には今度行ってみたい。)
私が行ったのは、博多ラーメンの「元祖長浜屋」
30分くらい並び、食べたるのは10分もしないくらい。
もちろん、替え玉も。
「げきうま!」ということはないけれど、
これが博多っ子のデフォルトかというかんじで、空間的にも味的にもたのしめた。
店員が丁寧っぽいけど、みんなやんちゃしてた感じがあって、
ちょっとこわげでした。(カップルの男性が店員にぶつかったら、「ッチ」って・・・。)
残り一時間ぐらいの博多タイムを楽しむべく、
一先ず福岡タワーへへ行くためタクシーに乗り込む。
これまた元やんちゃさんと思われる、
やたら丁寧で愛想のいい運ちゃんにつれられ
福岡ドームを横に見つつタワーへ。
なんとかと煙は高いところが好きというわけで、上に上りたかったが、
すさまじい列が・・・。
運ちゃんいわく、隣のシーホークホテルも高いところから見えるといわれたので
いって見たものの、お店に入らねば展望は得られなかった・・・。
まあ、海辺に行って博多の海を味わえたので良かったかなと。
と、そんな折に齋藤さんからメール。
「インフルでした・・・」
都内に戻り改めて受診した結果の模様。
ぶーちゃんじゃないと思うが、心配なわけで。
自分も大丈夫かな・・・。
とは思いつつも、まあ今は大丈夫だからよし。
帰りは北九州空港から飛び立つので、まずは小倉へ。
もし時間があれば、小倉から門司港に行ってみたかったが、
また今度。
北九州空港は本当に海の真っ只中にある小さな空港だった。
そこで買い物と夕飯を食べ、さらば九州。
また来よう。今度は長崎や天草にいってみたい。
●結論
九州には美人や可愛い人が多い。
今までの話となんら脈絡がないですが、
熊本出身の友人も何度も言っていたが確かにそう思った。
良い旅だった。
●準備
出発の日が5月2日だったから、ほんの数日前だったと思うが、
GWの予定をシモムーと齋藤さんにきかれ、
そのときは石見銀山に行こうと思っていたのだが、
丁度帰郷する2人に誘われ、大分・九州へ行くことにした。
そこから、飛行機の手配をするも往路がとれず、
一先ず5日北九州発の復路のみ予約し
「行かない」という選択肢はなくなった。
結局、行きは新幹線の自由席で行けば良いということに。
●旅立ち
前日22時ぐらいまで仕事をしてしまい、
家に帰ってからばたばた準備をして、寝る頃には1時過ぎに・・・。
ただ、こういうときはパッと起きられるもので、
4時半頃におきて始発にのり東京へ。
6時前に東京駅についたものの、さすがにGW中とあって
早朝の駅には各地へ向かう人でごった返していた。
私が乗るべき博多行きの列車も、
自由席に座るための列ができており、
私もすかさずその列に並ぶ。
時期が時期なので、座れなくても・・・と思っていたのだが、
思いのほか楽に席が確保でき、出発前にやってきた人が座れない程度だった。
このときからちょっとそんな気はしていたが、
高速料金が安くなったためか車で出かける人が増えたため?
新幹線の利用者がへったのかなあーーと。
というのも、九州に行ってからもどの特急やバスに乗っても、
席が一杯ということがなかったのだ。
そんなわけで、思いつき行き当たりばったりな割には、
快適な旅だった。
●まずは熊本
5時間新幹線にのるのは、やっぱり大変だった。
お尻が痛くなるし、通路に人が一杯でトイレに行けない・・・。
結局トイレに行けたのが、広島を過ぎてからだった・・・。
博多から、「つばめ」という
かっこいい(九州の特急は全部かっこいい)
特急に乗り熊本へ。
熊本には大学時代の友人が帰省しており、
今偶然やっている井上雄彦の「最後のマンガ展」を
熊本近代美術館で鑑賞することに。
まったく予期していなかったものの、
上野ではゆっくり見ることもできなかった、といわれるこの展示を、
ちょっと並んだだけで一時間じっくり見られたのは運が良かった。
その後は、東横インに部屋を取り、
友人も初めていく熊本ラーメン屋へ。
店の中には、有名人のサイン(偏りが見られたが・・・)もあり、
「元祖」と銘打った屋号ではあったが、
食べ終わった後に2人とも開口一番、
「やたらこってりしているわりに、薄味だったな・・・」。
桂花の本店があったので、そちらに行こうかともいっていたので、
ちょっと残念だが、まあ良い思いでということで。
ちなみに、近くにスザンヌの実家「キャサリンズバー」があったりして、
お店の反対側から携帯やデジカメで写真を撮っている人がいくらか見受けられた。
そして、熊本唯一?の繁華街だけあって、
出勤前のおねいさんや「これ系」のお兄さん達も一杯いた。
ただ、何の変哲もないお店も、
地元っ子の説明が加わるとそれだけで
ちょっと特別に見える。
変哲のない商店街でも歴史が見えると楽しいものだ。
●熊本から大分へ
翌日、朝ごはんを食べ8時半の開城前に熊本城へ。
さすがGWというわけか、まだ15分くらいあるというのに、
100人近い列ができていた。
私は、午後には阿蘇にいき、そのまま大分に抜けたいので、
熊本城にいられる時間が短いため、ダッシュでの見学となった。
熊本城の見所は、なんと言ってもその石垣のすばらしさだ。
作られたカタチが時代によって異なるらしく、
その反り返り具合が見事だった。
築城400年祭のキャラクター「ひごまる」は、
なかなか悪くないキャラぶりだが、
それほどプッシュしていない感じが見受けられた・・・。
まあキャラ頼りでないのは良いことか。
熊本城をあとにし、路面電車で熊本駅に戻り、一路阿蘇へ。
本日の行程で一番不安な、阿蘇⇔草千里のバス。
往路は始発なので定刻どおりに出発したものの、
復路は不安で一杯。
なにせ、今日の夕方には大分に着くという約束をしてしまったので、
余り遅くなるわけにはいかないな・・・と。
とまあ気を揉んでもしょうがないので、草千里を楽しむことに。
昔小学校のころの国語の便覧に草千里が載っており(誰かの詩?)
一度行ってみたいなとおもってから幾星霜。
確かにすごかった。でかーーーーーーーい、草原だった。
そう、鳥取砂丘をすべて緑地化したら同じものができそうな気がした。
しかし、ちょっとしたハイキング気分にもなれたし、
阿蘇駅の道の駅で買った、かしわめしのおにぎりを
小高い丘でたべられたので、なかなか良い気分だった。
ただ、寒い。
天気も悪く小雨が降っていたこともあるが、
高度がたかくなったのでそりゃ寒い。
小一時間草千里を散策したあと、
予定していたバスに乗るためにバス停に並ぶ。
並ぶ、並ぶ・・・。
全然来ない(涙。
山頂に向かう車道は、駐車場に入りきらない車で長蛇の列ができており、
そのあおりをくって、バスが頂上から降りて来られないようだった。
山頂から下ってくる車に何度ヒッチハイクして貰おうか悩んだほど…。
私の後ろに並んでた長崎の人っぽいおばあさんは、
「寒いのは我慢できるけでくさいくさい!」と
楽しそうに馬の匂いについて娘夫婦に愚痴をいい、
私の前にいた日系の女性と白人男性は、
これまた変なテンションで「フー!わーお!」と
いちゃつきながらバスをまちつづけていた。
そして待つこと30分以上。
ようやく到着。まっている人たちからは歓声と拍手が。
と、ここで衝撃の発言が運転手から!
「12人しか乗せられません!!」
ここまで待たせて人数限定か!
と思いつつ私は5人目だったので一安心。
ただ、そんなにいなかったよなあと思っていると、
すかさずおばあさんがカウントして、11人と判明。
一安心したところでまた運転手が問題発言。
「すいません、やっぱり5人しかむりです!!」
なぜ???
またしても私はぎりぎりOKなのだが、
7人分へったのか・・・?
意味わからず乗ってみたが、どうみても乗れる。
補助席だせば余裕だろう、と。
何を、どう考えたら乗れないのか分からなかったし、
当初の12人はどこからきてなぜ5に減ったのかさえ
わからなかった。
が、なんだかしらないが一応全員乗れた。
普段こんなに客がこないからパニくったのだろうか。
ひとまずよかった。
そして多めに時間をとっておいたおかげで、
無事大分に夕方到着する便にゆっくり乗れる時刻に
阿蘇へ戻ることができた。
九州横断特急(のわりには可愛らしいサイズ)という
かっこいい特急で、一路大分へ。
●大分一日目
大分でまず目に付いたのは、大友宗麟の像。
私が見た世界中の銅像の中で(大してないですが)、
1ばーーーーーん強そうだった。
かっちょいい。必見。ちょっとこわい。w
そしてなにより「とり天」。鶏肉の天ぷら。
シモムラ宅の夕食でも出していただき、満腹になるほどいただいてしまった。
最近は、「とりからあげ」がブームらしく、
「とり天」あってのブームなんだろうなとなんとなく納得。
その日は、「象の背中」を鑑賞して就寝。
●大分二日目
どうもサイトーさんの調子が悪いということもあったので、
私は1人で由布院へ行ってみることに。
軽井沢的なイメージだということを聞いて行ってみたが、
まさにそんな感じだった。
いやむしろ軽井沢よりもっとこじんまりしつつ、
多様性にとんだものがあるので、
今度時間があればもっとゆっくりと
遊びに行きたいところだ。
まずは日本レンタカーで電動自転車を借りる。
初めて電動自転車に乗ったのだが、すごい!
加速力と馬力がありえない。混雑した道で、低速で人の波がきれるまで
だらだら走っているところから、人がいなくなって走り出そうとすると、
グッと一気に高速域まで持ってきてくれる。
レンタカー屋で自転車を借りて走り始めるとき、
最初レンタカー屋の兄ちゃんにうしろから蹴り飛ばされたのかと
勘違いするほどの加速だった。
みんな買うといいよ。
さて、そんな電動自転車でまず向かったのは、金鱗湖という湖。
金鱗湖は、私の想像よりはるかに小さい「池」ではあったが、
その池を手前に見て、由布岳の姿を眺めるのはなかなかのものだった。
少し靄も出ており、なんとも幽玄な雰囲気が漂っていた。
その後は、ギャラリーやトンボ玉の店などを見て回っていたのだが、
ここにきてドシャブリに見舞われる。
やはり南国なのか、スコールのような雨で、
一気に私と自転車(とカゴに乗せておいたガイドブック)が
びちゃびちゃに。
そんな中自転車のレンタル時間がおわり、一旦返却したものの
次の列車まで時間があるので改めて街へ繰り出し、
ジャムを買ったり豆腐ソフト(豆乳の味がしてうまい)を食った。
ここに来る前に行ってみてはといわれた「金賞コロッケ」
(なんかのコロッケ大会で金賞をとったコロッケらしい)
にもいってみたが、どこかで食べた味だなと思ったら、
母親の作るコロッケをもう少しスパイシーにした感じだった。
まあ観光地の名物なんてのはこんなもんなんでしょう。
そんな駆け足でまわった由布院を後に大分へ。
夕飯はシモムラパパの作るお好み焼きだった。
またしても満腹ナリ。
●最終日大分⇒博多⇒北九州
やはりまだ調子の悪いサイトーさん。
大量に薬をもらったものの熱が下がらない。
ブタか・・・?いやまさかね、あはは。
なんて話をしつつ、彼らも東京へ戻るために大分空港へ。
その途中、大分駅に下ろしてもらい、自分は一路博多へ。
博多について何をしようか、ずっと迷っていたが結局「ラーメン」となった。
(大宰府と近代美術館には今度行ってみたい。)
私が行ったのは、博多ラーメンの「元祖長浜屋」
30分くらい並び、食べたるのは10分もしないくらい。
もちろん、替え玉も。
「げきうま!」ということはないけれど、
これが博多っ子のデフォルトかというかんじで、空間的にも味的にもたのしめた。
店員が丁寧っぽいけど、みんなやんちゃしてた感じがあって、
ちょっとこわげでした。(カップルの男性が店員にぶつかったら、「ッチ」って・・・。)
残り一時間ぐらいの博多タイムを楽しむべく、
一先ず福岡タワーへへ行くためタクシーに乗り込む。
これまた元やんちゃさんと思われる、
やたら丁寧で愛想のいい運ちゃんにつれられ
福岡ドームを横に見つつタワーへ。
なんとかと煙は高いところが好きというわけで、上に上りたかったが、
すさまじい列が・・・。
運ちゃんいわく、隣のシーホークホテルも高いところから見えるといわれたので
いって見たものの、お店に入らねば展望は得られなかった・・・。
まあ、海辺に行って博多の海を味わえたので良かったかなと。
と、そんな折に齋藤さんからメール。
「インフルでした・・・」
都内に戻り改めて受診した結果の模様。
ぶーちゃんじゃないと思うが、心配なわけで。
自分も大丈夫かな・・・。
とは思いつつも、まあ今は大丈夫だからよし。
帰りは北九州空港から飛び立つので、まずは小倉へ。
もし時間があれば、小倉から門司港に行ってみたかったが、
また今度。
北九州空港は本当に海の真っ只中にある小さな空港だった。
そこで買い物と夕飯を食べ、さらば九州。
また来よう。今度は長崎や天草にいってみたい。
●結論
九州には美人や可愛い人が多い。
今までの話となんら脈絡がないですが、
熊本出身の友人も何度も言っていたが確かにそう思った。
良い旅だった。
2009年3月20日金曜日
深夜特急をみて・・・
深夜特急のDVDを全て見た。
すばらしい!!!!!!!
と思うと同時にとてつもない焦燥感に襲われた…。
もう27才という年もあと数日…。
沢木耕太郎が旅にでたのが26才。
ちょうど今頃なんだなと…。
沢木氏自身もDVDのインタビューの中で、26に外に出ると心に決めて出たらしい。
26という数字に、特に意味があるわけではないらしいのだが、
若すぎず年より過ぎず、感受性もまだまだ高いそんな丁度良い時期なんだと。
私を含め日本の多くの若者が、
この大事な時期を会社という組織に忙殺させられている。
氏もこれからの社会には、4・5年働いた若者がもう一度大学にもどったり旅をして、
さらに見聞を広め戻ってきたときに、受け入れる姿勢が必要だと語っていた。
(2002年のインタビューだが、実際どうなっているだろうか・・・)
と、そんなことを考えていると、与えられた仕事をこなすことに、
あくせくする時間が余りに惜しく感じ、「老い」の恐怖というか、
過ぎゆく時と真っ向から向き合い、自分のあるべき姿を考えねばならない、
と強く感じた。
たった一度の人生なんだし、
なんでもやれそうなことややっぱりやらないといけないなと。
もう、のらりくらり生きるのはやめようかなと思い始めた。
すばらしい!!!!!!!
と思うと同時にとてつもない焦燥感に襲われた…。
もう27才という年もあと数日…。
沢木耕太郎が旅にでたのが26才。
ちょうど今頃なんだなと…。
沢木氏自身もDVDのインタビューの中で、26に外に出ると心に決めて出たらしい。
26という数字に、特に意味があるわけではないらしいのだが、
若すぎず年より過ぎず、感受性もまだまだ高いそんな丁度良い時期なんだと。
私を含め日本の多くの若者が、
この大事な時期を会社という組織に忙殺させられている。
氏もこれからの社会には、4・5年働いた若者がもう一度大学にもどったり旅をして、
さらに見聞を広め戻ってきたときに、受け入れる姿勢が必要だと語っていた。
(2002年のインタビューだが、実際どうなっているだろうか・・・)
と、そんなことを考えていると、与えられた仕事をこなすことに、
あくせくする時間が余りに惜しく感じ、「老い」の恐怖というか、
過ぎゆく時と真っ向から向き合い、自分のあるべき姿を考えねばならない、
と強く感じた。
たった一度の人生なんだし、
なんでもやれそうなことややっぱりやらないといけないなと。
もう、のらりくらり生きるのはやめようかなと思い始めた。
2008年11月10日月曜日
大地祭
もう何年になるか・・・、そうだいたい6年ぐらいだろうか。
久しぶりに、大雄山駅に降り立った。
小田急線もずいぶんかわり、登戸駅の工事も終わっていた。
ただ、足柄ふれあいの村はかわっていなかった。
いつもドキドキしながらむかっていったけど、
いつでも暖かく、さも毎日来ているかのような感じで、
みんなが迎えてくれる場所。
久しぶりだったのでやっぱり緊張したけど、
そんなの一瞬で消し飛んだ。
懐かしいうれしい面子にも会えたし、
フリーマーケットを通した老若男女のお客さんとのコミュニケーションも
また楽しいものだった。
やっぱりこの世で一番大事なのは、
「人の縁」なのかもしれない。
つながっているからこそ、そこに何かがうまれるんだろうなあと。
なんかそんなことを、反芻した一日だった。
よい週末でした。
久しぶりに、大雄山駅に降り立った。
小田急線もずいぶんかわり、登戸駅の工事も終わっていた。
ただ、足柄ふれあいの村はかわっていなかった。
いつもドキドキしながらむかっていったけど、
いつでも暖かく、さも毎日来ているかのような感じで、
みんなが迎えてくれる場所。
久しぶりだったのでやっぱり緊張したけど、
そんなの一瞬で消し飛んだ。
懐かしいうれしい面子にも会えたし、
フリーマーケットを通した老若男女のお客さんとのコミュニケーションも
また楽しいものだった。
やっぱりこの世で一番大事なのは、
「人の縁」なのかもしれない。
つながっているからこそ、そこに何かがうまれるんだろうなあと。
なんかそんなことを、反芻した一日だった。
よい週末でした。
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